文字サイズ

カラー設定

職員専用ページ職員専用ページ

東北大学病院

お問い合わせはこちら
(平日 8:30~17:15)
TEL 022-717-7000
診療時間
平日 8:30~17:15 威尼斯赌博游戏_bob体育注册-赌场*官网 8:00
診療受付 8:30~11:00
再診受付機8:00~17:15
休診日
土?日?祝?年末年始(12/29~1/3)
TEL 022-717-7000
時間外?休診日
022-717-7024
交通アクセス 交通アクセス
アクセスアクセス
TUHメールマガジン みんなのみらい基金ご寄附のお願い

被災後の福島県いわき地区のがん治療の状況調査と今後の対応についての意見交換会(2011.05.27)

被災後の福島県いわき地区のがん治療の状況調査と今後の対応についての意見交換会(2011.05.27)

いわき市立総合磐城共立病院

日時 平成23年5月13日(金)15:30:~17:00
場所 上記、院長室
参加者 阿部 道夫先生(外科部長)、岩橋 成寿先生(心療内科部長)、池谷 伸一先生(消化器内科部長)、坂元 和子先生(副院長、看護部長)、石岡 千加史(東北大学腫瘍内科)、森 隆弘(東北大学がんセンター)

 平成23年5月13日(金)、午後1時に加齢医学研究所に集合、東北自動車道宮城インターから磐越自動車道、一般道を経由していわき市立総合磐城共立病院に午後3時30分頃に到着。同病院長室で下記の議事内容の意見交換を行った。

1. 震災直後から現在まで

 ライフラインは比較的早期に復旧した。病院建物も決して新しくはないが、大きな損壊も無く、使用可能であった。しかし、3月12日に原発の問題が明らかになってから、状況が変化。まず、物資が入ってこなくなった。また、住民の避難の話も浮上、病院でも避難の話が出、不安を感じるようになった。病院では、まず、若手スタッフを一時的に避難させた(ほぼ全員が復帰)。市民は自主的に避難するものが出た。通院がん患者の一部も避難に動き、希望者には可能な限り、紹介した(国立がん研究センター、癌研、大学など。ほとんどが関東圏)。入院患者については全身状態から避難基準を設けて4群に分類して対応した『A軽症(退院)、Bバス搬送が可能(転院)、C特殊輸送が必要(レスピレータなど)(転院)。D状態が悪すぎて転送出来ない(そのまま入院)』。

 外来通院患者の全体数は3月11、12日といったん減少したものの、その後増加に転じた。これは福島浜通の原発周囲からの避難者が来院したものである。現在はほぼ震災前に近い数の来院がある(800名/日。以前は900名/日)。

 入院患者数は震災後、上記の対応により、減少し、その後、3月21日頃より増加、現在は震災前の8割程度である(震災前650名前後、現在500名強)。これは原発風評による市民の避難により、人口が多少減少した事も影響があるかもしれないとの事であった。

 がん化学療法は3月12日以降ほぼ停止したが3月22日より再開。徐々に増加しているが、震災前(30人/日)に比べると8割(25人/日)。避難所の患者には原則として施行していない。

 放射線治療は3月14日から3月28日にかけてリニアックが停止していた。その後、復旧し、現在は震災前と同じレベル。

 手術は3月12日から27日までは救急のみの対応としていた(1から7件/日、救急のみ)。その後、予定手術を再開。現在はほぼ震災前と同じである(20件前後/日。以前も20件前後/日)。

 緩和については緩和ケアセンターの入院は震災前後で変わらず。これは建物の被害は比較的少なく、原発の風評による被害が大きいという、いわき市の特有の事情のためであろう。在宅緩和についても、これまでも磐城共立病院のスタッフが訪問医療を担っており、また、市内開業医もほとんど存続している事から従来のレベルを維持している。これも岩手沿岸や石巻地区との大きな違いである。病院スタッフの地震、津波による被災も全体の2%ほどであり、これも他地域との違いである。

2. 今後の見通し

 上記のようにいわき市の被害の(他の地域との違いとして)大きな特徴として、津波被害は比較的限定的であり、原発の風評被害が市民生活や病院に大きく影響したという事である。従って、病院の対応としても、地震後というよりは原発後に状況が変化し、その後、転送可能患者を移送したり、若手スタッフのみ一時的避難し、残る中堅以上のスタッフはほぼ泊まり込みで対応された。ライフラインの復旧も早く、建物の被害も少なく、上記避難した若手医療スタッフもほぼ全員が早期に復帰し、このような病院スタッフのご努力の結果、がん医療に関しては現在ほぼ震災前の状況に復帰した。

 また、このような状況の中で、今年度の研修医(東北大、福島医大、他出身)は13名がマッチし、しかも、一人も欠ける事無く、全員が研修を開始したことは朗報であり、将来に期待を抱かせる事であった。

 以上のことから、東北がんネットワークと東北大学病院がんセンターとしては喫緊に人的あるいは物質的な援助が求められてはいないと判断した。ネットワークの現状の説明と今後の継続的な協力を表明し、また、癌治療について、今後も連携を深化させることで一致した。

独)労働者健康福祉機構
福島労災病院

日時 平成23年5月13日(金)17:15~18:15
場所 上記、院長室、病診連携室
参加者 大和田 憲司先生(院長)、武藤 淳先生(副院長)、石岡 千加史(東北大学腫瘍内科)、森 隆弘(東北大学がんセンター)

磐城共立病院での討議後、福島労災病院へ移動し、下記の討議を行った。

1. 震災直後から現在まで

 状況は上記、磐城共立病院に似ている。また、いわき市の特徴として3月11日の本震と4月11、12日の余震がほぼ同程度(前者が震度6強、後者が震度6弱)であり、後者でのダメージもあった(労災病院では後者の余震後、手術は予定通りに行われていたが、停電と水の供給懸念のため内視鏡検査が中止。建物も新病棟と旧病棟のつなぎ目に亀裂が入っている)。入院患者数の変動は共立病院とほぼ同じで、震災後、一時減少傾向となり、3月25日頃から増加に転じ、現在は震災前の9割程度(前339名。4月26日で303名)。外来患者数も共立病院と同じ傾向で、直後減少し、その後すぐに増加、現在は震災前のレベルに復帰(前475名/日:3/1?3/10の平均は524人。4月26日533名/日)。入院患者の転送に関しては茨城県(県立中央病院他)や労働者健康福祉機構本部からの働きかけにより、関東や近県の系列病院(関東、横浜、東京、千葉、新潟、燕の各労災病院)から協力の申し出があり、助けられたとの事であった。

 手術、放射線治療、癌化学療法などもほぼ同じで、震災直後に減少、手術は臨時手術のみの対応だったが、3月25日から再開、現在、ほぼ震災前に近い状況に復帰、放射線治療もリニアック装置の動作確認後の3月23日から再開し、一度、4月の強い余震後に中止したが、その後、再開して現在はほぼ震災前に近い状況に復帰、化学療法は3月23日から再開し、ほぼ復帰しているとの事であった。緩和ケアについては入院には全く震災の影響がなく、労災病院による在宅訪問緩和ケアについてもほぼ同様に施行出来ているとの事であった。

2. 今後の見通し

 福島労災病院においても、共立病院と同じように、震災自体の被害というよりは原発風評による影響が大きかったようである。現在、いわき市は住民の自主的避難により、やや人口減であるが今後、双葉郡など原発周囲からの避難者の増加が見込まれており、そういった人口増(患者増)に対応が必要となる可能性がある。また、原発事故自体の先行きが多いに影響する。住民、あるいは病院のスタッフの印象としては、まだ先の見通しが立たないということであった。そんな中でも労災病院もスタッフはほぼ以前の状態に復帰し、がん医療もほぼ震災前の状態に戻りつつあるという事であった。

福島県いわき医療圏のがん医療

 いわき医療圏の中核病院である、磐城共立病院と福島労災病院を訪問し、現状の分析と今後のがん医療について討議を行ったが、両病院ともほぼ同じ傾向を示していた。すなわち、震災直後に入院患者のうちの転送可能患者を主に関東圏に移送し、転送不能な重傷者は院内に残し、医療スタッフはほぼ泊まり込みで対応したということ、現在、医療スタッフなどはほぼ震災前と同じ状態に復帰し、がん医療についても同じレベルに復帰している事、また、(岩手や石巻地区などと異なり、)この地区では入院、在宅とも緩和ケアについては大きな被害がなく、震災前と同じレベルを維持出来ている事など、両者に共通である。

 また、現状としては上記のように以前の状態にほぼ復帰したが、今後については、予想される人口増加(原発周囲からの住民移動)や関東圏に一時移送した患者の再入院などの問題、また、原発事故の今後の推移にも左右されると思われる。そんな中で共立病院への今年度の研修医が全員、予定通り就職された事は彼らの高い見識を示すものであり、今後に期待を持てるものである。

 上記にも記したように、いわき医療圏では東北がんネットワークと東北大学病院がんセンターとして喫緊に人的あるいは物質的な援助が求められてはいないと判断した。一方、今後については、癌治療についての連携を更に深化させることで一致した。

 以上の討議の後、いわき中央インターより磐越自動車道、東北道を経由し、午後10時頃に加齢医学研究所に到着、解散した。

pageTop